2018年02月13日

普通の母娘に一生なれない


宗教を毛嫌いする人、抵抗がある人が多いのは
過去に大きな事件を起こした団体があったり
しつこい勧誘を経験している人が多いからだという。

たしかにそれもあるかもしれないけれど
あくまでそれは
表向きの口に出しやすい理由
なだけで本当は
大切な自分という存在を意図も簡単に否定してくるから
という理由もあるんじゃないだろうか。

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母は私に言った
「つまみちゃんは、何かを始めようとする時、悪い方向にいきやすい
それは因縁だ
ママが頑張るからね、つまみちゃんの分まで教えを頑張るから」

これは・・・なんなんだろう
愛情なのか
これを言われて私はどんな思いを抱けばいいんだろう
どんな思いが正解なんだろう

私が何かを始めようとする度に、何かを始める度に、
母は私にそんな感情を持っていた。

私は自分ではそんな風には思っていなかったのに。
今だって、何かを始める度に悪い方向にいくなぁ、なんて
これっぽっちも思っていないのに。

私の、私だけの、人生を
こんなにも容易く否定される

「因縁」とかいうものを例え私が受けていようとも
そんなことは生きている私達が存在を証明することなんてできないじゃないか

生きている私達には
目に見えるものしか見えない

目に見えないものはたしかなものかわからないから
不安になるものじゃないのか

愛とか友情とか信頼とか確信とかそういうものは。

それをなぜそんなにも自信満々に、さも目に見えるもののように信じることができるのか。

その上で私の人生を否定し、意図も簡単に私を傷付けることができるのか。

そんなことに気付くこともできないような人間になってしまうから
大切な誰かの心を奪われてしまったから
だからこそ宗教を毛嫌いする日本人が多いのではないか。


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私は母の心を奪われたと思っている
娘だから母に、たった1人の母に、あなたに、
相談や話をしたいと思っても
母は私の言葉を受け止めない
私と教祖様の橋渡しの役割をすることが
どんな悩みにおいても最善だと考えているから

そう考えることが当たり前だから
何の疑問も持たず
「娘をどうか救ってください」と今日も祈る

祈り続けている限り私は母とは向き合うことができない
母娘の話し合いよりも
教祖様からの全面的なバックアップの方がよほど強い力だと考えているから
そう信じて疑っていないことに気付くこともできないから

そして信者は
大切なことを1人で決めることが不安になる

学校を決めること
就職先を決めること
住む場所を決めること
結婚相手を決めること

そんな「決める」ことが「見えない力からのお墨付き」がないとできなくなる

自分で聞く耳を奪われる
自分で考える心を奪われる
それに気付かない

実際にこれらの文章を読んだとしても
こう考える人がいるんだな
いつかこの人も私たちの信じるものがわかればいいな
と願う

じゃあ自分は?
自分自身という人間はどう思うの?
そんな疑問は持てない、持つことが出来なくなっている

持った途端に何十年と信じ続けてきたものを
疑うことになり
「決める」ことのできなくなっている自分に気付いてしまう

何十年も生きていれば良い事、奇跡的な出来事なんかも起きるかもしれない
しかし彼らにとってのそれはただの「お力」であり
果てようとしていた命の吹き返しさえも
教祖様のおかげと信じて疑わない

だからこそズブズブ依存していることに気付けない

同じような人の中にいれば尚更
異常なことに気付けない

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何を言ってもどんな言葉も
彼らには届かない
絶対に届かない

そして絶対に心を動かさない
教祖様の言葉以上の本当に正しい言葉なんて
どんなに大切な人の口からも出ないから

辛いこと、悲しいことがあっても修行だと思い粛々とこなせる
そんな目がキラキラしている様がゾッとする

目に見えないものも存在するかもしれない
目に見えない力が働いているからこその今かもしれない

そんなこと、知ろうとするほどにお金がかかるのが宗教

母は今の宗教がなければもっと弱い人間だったかもしれない
それでも
弱くちゃいけないのだろうか

弱いけどもがいて苦しんでそれでも必死に道を見つける。
そうやって生きている人を意図も簡単に「因縁のせいだ」と言って全てを否定する

そんな人間になりたいと私は思えないの。
ママがどんなに私に宗教の道を歩んでほしいと願おうと
私はママみたいになりたくないの。

本当はなりたいって言いたいの。
だいすきなママを心の底から大切に思いたいの。
それでも目をギラギラさせながら宗教のことを話すあなたには
ゾッとしてしまうの。

母親なのに、子どもなのに、
頼りたいのは教祖じゃない
あなたなの。

普通の母娘になりたいだけなの。
それをこんなにも難しいものにさせているのは
なんだかわかるかな

マインドコントロールとどう違うんだろう。

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ここまでお読みいただきまして
誠にありがとうございます

母の宗教についてのこんな記事もございます

宗教の狂気

人を救うのは有料

全ての記事をまとめた目次もございます

☆目次☆

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ラベル:宗教
posted by つまみ at 15:33| Comment(0) | 宗教について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

人を救うのは有料


私の母は、ある宗教団体に所属しております

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宗教に関することも書かせていただきますが、
宗教が悪いものだと言いたいわけではなく、
こんな風に思っている人もいるよ、
というような記事ですので
全否定をしたいわけではございません

私も幼い頃からお寺と呼ばれる場所(実際は施設のような場所)に
連れて行かれ、
訳もわからず一緒にお経を唱えたり、
お祈りをしたりしていました。

しかし中学生くらいの頃に
宗教というものに違和感を覚え、
今はもう行っていません。

母は今でも相変わらず妄信しており、
狂気すらも感じる状況です

宗教の恐ろしいところは、
何かを本気で信じることができる状況を作り出し
実際に何一つ疑わない人が多くいる

ということだと私は思っています。

疑うことって、
生き物の本質というか、
防衛本能みたいなところがあると思っていて、
そんな本能的な何かをも
忘れさせる無防備な状態にしてしまう、

そんなところがこわいなと思います。

例えば動物が狩りをする時、
獲物に似た形のものを見たとします。
そうしたら、
「ん・・・?あれは、いつもと何か違う・・・?」
頭の良い動物でしたら、
こんな違和感を覚えるのではないでしょうか。

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違和感を覚えたら、慎重になります
なぜ慎重になるかといいますと、
危険から身を守るためですよね。
知らない獲物なら
返り討ちに合う可能性だってあります。


私達も何かに違和感を覚えると
慎重になります

「この人の言ってること、なんかおかしくないか・・・?」
「・・・ん?これって騙されてるのでは・・・?」

何かに対して、誰かに対して、
こんな風に違和感を感じることは
自分を守るための最初のサイン
みたいなところがあるような気がいたします。

こんなサインを感じることは
日常にも多くあります

深夜にインターホンが鳴った時
「こんな時間になんだ・・・?」

恋人の言動がいつもと違った時
「何か隠し事があるのかな・・・?」

これらのふと感じる違和感は、
経験から来るものです。

ですので子どもよりも
様々な経験を積んだ大人の方が感じやすいですよね

「いつもの状態」を知っているからこそ
「いつもと違う状態」がわかり、
疑ってかかることにより、
危険から身を守ることに繋げられるわけです


宗教の話に戻してみます
「信じる者」と書いて「信者」と読みます。
信者の方々は、きっと疑いません。

疑わないということは無防備なんです。

この疑わないことがどれだけこわい事かを
伝えたかったために
動物の例えやら何やらを長々と書いてしまったわけですすみません。(笑)

これをすれば
私は救われる、誰かが救われる
そんなことを本気で思っているのでしょう。

誰かを救うことって、
簡単なことでしょうか。
とても難しいことですよね。


それを意図も簡単に、
「救える」と言ってしまうことが私はこわいです。

一番簡単に誰かを救う方法は
お金をポンっと渡すことだと思います(笑)

「信者」と書いて「儲かる」と読みます。

実際宗教って、
めちゃくちゃ儲かると思います。
無料の宗教なんてありません。

私の母は、
「心のこもったお金であればお力がいただけ、
困った時に必ず助けてくれる」
「でもつまみちゃんのように
お金!お金!って考えていたらだめだ」
そんなことを真剣に言います。

私がうつちゃんで働けず
旦那ちゃんも同じく20代の会社勤めで多く稼げるわけではなく、
正直生活はめちゃくちゃ苦しいんです。

こんな状況でお金!お金!と考えない方が難しいです(笑)

この世界は生きている人で作られているんです。
生きている人が死に、
また生きている人に紡いでできているんです。


亡くなった人も見えないだけで
そこら中にたくさんいるかもしれません。
生きている私達になんらかの影響も与えているかもしれません。

しかし、それは知ることなんてできません。
できたとしてもそれが真実かなんてわかりません。

死んだこともない人から
霊界からの声を聞くのにお金がかかる、
それをありがたがる、
そして疑わない。

それが私の知る宗教です。

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そりゃあ、私だって、
誰かを救うことができるならば救いたいです。

この文章を読んでくれているあなた様が苦しんでいるなら
救いたいです。


どこのどなたかわかりませんし、
お顔もわかりませんが、
大切な私のブログを見つけてくださり、
こんなにたくさん文章を読んでくださったあなた様を
救いたいです。

この想いにお金が伴うのが宗教です。

私が誰かのためになりたい、
誰かを救いたい、
この想いに宗教団体にお金を払うことが正しさでしょうか。

私はそうは思えません。

信じることはとても楽です。
疑うことはとても面倒です。


だからこそ弱っている時には
楽な方にいくのかもしれません。

私の母は、
「今の宗教があるおかげで
強くいられる」
と言います。

実際は気の持ちようだと私は思ってしまいますが、
本人が救われたと思っているのなら、
それもひとつの正しさなんだと思います。

人を救うのは簡単なことではありません。
「この方法なら簡単にできるよ」
こんな言葉を疑うことを忘れてしまうのが宗教の恐ろしい所です。

宗教はやめた方がいい!と言いたいわけではなく、
こんな風に考えている人もいる、
ということが言いたかっただけです

ここまで読んでくださり、
誠にありがとうございます

母の宗教について詳しく書いた
こんな記事もございます

宗教の狂気

私も救いたい人がいる、
でも頼ってもらえないよ!という方には
こんな記事もございます

あなた様に頼らないのには、こんな理由がある!?

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posted by つまみ at 08:03| Comment(1) | 宗教について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月31日

宗教の狂気

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宗教の話って、対人関係においては基本的にはNG扱いですよね

ですので、あまり人には話したことはありませんが、
ちょっと書いてみようと思います

私の人生には、
たぶん切っても切れないことだと思いますので

あくまで私個人の考えですので、
こういう考えの人もいるのか、と軽く読んでいただけますと幸いでございます


やめた方がいい、と言いたいわけではなく、
こういう見方をしている人もいる、というかんじで書かせていただきます。

私は子どもの頃に、
母親に土下座をされたことがあります。

母は私が赤ちゃんの頃から
ある宗教団体に入信をしていました

(宗教が悪いものだ、と言いたいわけではありません

私も物心のつかない内から連れて行かれていて、
わけもわからずお祈りをしたり、
お経を読んだりしていました

物心の付いた頃には既に身近にあったものなので、
なんの違和感もなく受け入れておりました

小学生くらいになったある日、私は夢を見ました。
大勢の大人たちがお経をあげている姿を
遠巻きに見ている夢でした

目覚めた私はその光景を思い出し、
なんだかぞっとしてしまったのです

これって、なんだかこわいかも・・・
と狂気を感じてしまったんですね。
まぁ、ただの夢なんですけどね

それ以来、宗教というものに関して違和感というか、
自分の考えを持つようになりました。

今までは母が行っているから付いて行く、
母が良いと言っているから良いもの、
というかんじでしたが、

私はいいや
と思うようになりました。

子どもながらに、疑問が浮かんできたんですね。
教主様はそんなにすごい人ならどうして歴史の教科書に載っていないの?
と。(笑)

そこからは反抗期も重なり、
母にも行かないでほしい、と思うようになりました。

しかしこれが、
どんなに言っても全く意味がない

私は子どもの頃、
泣きながら懇願したことがあります。
もうやめてくれと。

そうしたら、土下座です。
続けさせてくれと。
子どもの私には衝撃的でした。

こんなに泣きながら懇願する我が子を前にしても
一切心を動かさないなんて。

その行動を自信を持って正しさと考える人間をたくさん作り上げている
宗教の恐ろしさというか、
盲目にさせてしまうかんじが、
私は苦手です

大人になった今考えてみると、
本当によくできた仕組みであるなと感じることがあります。
記憶が曖昧なので少し違っていることもあるかもしれませんが、
書かせていただきます

この宗教には、「三つの歩み」
というものが存在します。

*ご奉仕
*お助け
*歓喜

これをすることを「修行」とされ、
徳が積まれていくらしいです。

要は
*無料労働
*勧誘
*寄付


ということです。

ひとつずつ詳しく書かせていただきますと、

*ご奉仕

これはわかりやすくいうと、
教団のスタッフをする、
ということですね
受付をしたり、
参拝にきた大勢の人を部屋に案内したり、などです。

あとは早朝に駅の掃除をしたり、
日常生活でも人に親切にしたりなどが、
おそらくそれに当たります。

教団を運営していく上で、
無料で使える人なんてめちゃくちゃ都合が良いですよね(笑)

賃金を払わなくてもいい、
尚且つ喜んで志願する人が大勢いるわけです

早朝にお掃除、というのも
人の見ていないところで人のためになることをしよう
ということなのかもしれませんが、
それを喜んでしている人たちには
私はなれませんでした(笑)

*お助け

「勧誘」を嫌う人間の心理を上手くごまかした巧妙な言葉です(笑)

悩んでいる人、苦しんでいる人を
この宗教に誘い、救ってあげましょう
ということです。

でも、一般的な感覚で考えますと、
いくら自分が思い悩んでいても、
宗教に誘われたらどんな気持ちか想像したら
良い気持ちではないと思います

もちろん誘われて助かった、という人も大勢いると思います。
だからこそ日本には様々な宗教があるわけですからね

しかし母は私が学生の頃、
私の同級生のお母さんたちを何人も勧誘していたため、
嫌だなぁ、うちの母がすみません、
という気持ちでいました。

本人にやめてくれと言っても
もちろん聞く耳なんて持ちません
「助けている」という感覚ですからね。

私の嫌な気持ちなんて、
見て見ぬ振りです(笑)

今も、友だちが悩んでいる、と雑談感覚で話すと、
「この宗教に誘った方がいいんじゃない?」
と言われます。

私は母に聞いてほしいだけなんですけど、
それすら叶いません(笑)


*歓喜

これは教団への寄付です。

これをしていると困ったときほどお力がいただけ、
気持ちをこめたお金はいずれ返ってくる、
というようなことを言われていた気がします。

実際このお金がどうなるのか。
新しく立派な施設がどんどん出来る現状を見ていたら
一目瞭然ですね(笑)


この三つの歩みは
「基本的に行うべきこと」
といったかんじですかね

他に「接心」というものがあります。
これはお金を払って霊能者にひとりひとりお話を聞ける、
というものです。

「ご先祖様がこう言ってますよ」
「今はこうした方がいいですよ」

内容は様々でしたが、たしかこんなことを言われます。

私は半信半疑の時期に接心で
「三つの歩みをがんばってください」
と言われました。

・・・え?
お金を払って霊能者に見てもらった結果がこれ???
ご先祖様や私を守ってくれている人たちは
本当にそれ、言ってる???(笑)

ますます疑いは強くなる一方


私のことも、今でもきっと全部
この教団に相談したり、
お祈りをしているんだと思います。

私のうつちゃんが良くなってきたことも、
良い人と結婚ができたことも、
夢を叶えられたことも、
楽しく学校に通えたことも、
テストで良い点数が取れたことも、

亡くなった父が少しでも延命できたことも、
亡くなった犬が最期に少し息を吹き返したことも、

高齢でも健康でいられる祖母のことも、
健康でいられる自分自身のことも、


母からすれば、

ぜーんぶ教団のお力なんです

すごいですよね、
必死で生きている私たちの力ではなく、
背中を押してくれた教団のお力でもあると考えてしまうなんて。

そして人が不幸になればなるほど
宗教団体というのは潤います


「あの人を救ってください」
とお金を出して祈ったり、
お話を聞いたりするわけですからね。

しかも少しでも良い話ができれば、
プルーフ(自分はこんなお力をいただいてこんなすごい奇跡が起こりました、と大勢の前で発表すること)で紹介されます。

どんなに頑張って起こした奇跡も
勝手に教団のお力とされて紹介されているんです

例えば私が病気で余命宣告をされて、
その間母が必死で教団に通い詰めていたとして、
私の病気が奇跡的に治ったとしたら、
まさに良いプルーフの完成です(笑)

私が必死な思いで戦って治した病気も
ぜーんぶ「お力」なんです。

そしてこれを聞いた信者たちは、
やっぱりここってすごい!
とますます士気を高めていくわけです

そして頼んでもいない人のご先祖様の供養までお願いして
どんどんお金を払っていくわけです

そうやってどんどん新しい立派な施設が作られたり、
大規模な催しをしたりします。

本当によくできた仕組みですね・・・

実際に私がうつちゃんが辛い時に母に話しても、

「辛くなったらお祈りしてね」
「お寺に行った方がいい」
「まだわからないかもしれないけれどいつかわかる時が来る」

こんなことばかり言われました

たったひとりの母親というあなたに相談をしたのに。
聞いてほしかったのに。

母からしたら、
「私に話すよりお祈りをした方が救われる」
「だから祈って」
そんな想いだったんでしょう。

それを正しさとしてしまうのが宗教ですね。

そんな風に受け入れている人が大勢いることが
私は恐ろしく感じます。

そして信者たちの周りには、
教団に通うことを反対している人もいるかと思います。

反対を少しでも弱めると彼らは
「行かせていただいていることがありがたい」
「いつかこの反対している人たちも連れてきたい」

そんな風に反対する人の気持ちなど一切考えません。
この人はまだわかっていないのだ、
としか考えないのだと思います。

もちろん何を信じるのも
信仰するのも
人に迷惑をかけなければ自由だと思います。

しかし裏ではこんな思いをしている人間もいるのだと、
そんなことが書きたくなりました^^

長くなってしまいましたが、
読んでくださり、ありがとうございました。

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posted by つまみ at 16:43| Comment(2) | 宗教について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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